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【街の文化人を訪ねて】第11回 松伏町書道連盟前会長 石嶋利夫さん

 町役場会議室にて松伏町書道連盟前会長の石嶋利夫さんからお話を伺いました。  

       (取材日:令和4年1月17日(木)、聞き手:現会長 増田等)

写真1:町長応接室前の石嶋さんの作品前にて

〇書道を習い始めたきっかけは。

 25年ぐらい前に埼玉県立松伏高校の文化祭に出かけた時、校舎の中庭で書道部員の書道パフォーマンスを見て、書道をやってみたいと思ったのがきっかけです。

松伏高校の書道部の顧問の春日部在住の関根鳴城先生にお願いして、書道サークル「蛙鳴会(けいめいかい)」を始めました。外前野記念会館「ハーモニー」を会場にして、24年ほど続いています。始めたころは会員も17名いましたが、少しづつ減ってきています。

 現在は書作6段です。6段になるまで10年ほどかかりました。メンバーの中には6段、7段の方もおられます。

 関根鳴城先生はすばらしい先生で、毎日新聞社の書道作品の専属の審査員もされておられたと記憶しています。書だけではなく、印の彫り方も教えて頂き、自分で手彫りした印を今も作品に使っています。

 10年ぐらい前に転勤となりまして、後任が現在の南暉青先生です。

  

〇書道連盟の歴史についてお話しいただけますか。

 書道サークル「蛙鳴会(けいめいかい)」立ち上がりとほぼ時を同じくして、書道連盟ができました。

 始めたころは7団体ありました。初代会長が斉藤道子先生で、続いて池上よしゑ先生、斎藤とし子先生、長柄志げる先生、中條勝子先生と続き私が6代目で昨年まで務めさせて頂きました。

 現在は、中條先生の「中條書道教室」と「蛙鳴会(けいめいかい)」の2団体となっています。新しく参加される団体が加わっていただくことを願っています。

 町民文化祭では、メンバーの中で男性が一人だけでした。会場づくり、後片付けなどをいつも中心に行っていました。頼られる存在だったかと思います。

写真2:2019年11月 町民文化祭書道連盟ブースにて

  

〇思い出深い作品ありますか。

 日常生活の中で、目的をもって何か役立たせたいと思い立ち、「千字」を個人的に習得して、全文字作品にして末代まで残したいと考えています。その一部となる最近の作品を持ってきました(写真3)。腰を痛める前の直近の作品です。何とか完成したいと思っています。

 また、10年ぐらい前に「般若心経」の経文の写経を完成させました。昨年、新築した家に、額に入れて飾ってあります(写真4)。

写真3:作成中の「千字」の一部
写真4:新居に飾った「般若心経」

〇今後の抱負をお聞かせください。

 ワープロの時代にあって、自筆の筆での作品作りには価値があると思います。年賀状も筆で書いたものをお送りしたいと考えています。

  

〇これから、書を始められたい方へのメッセージをお願いします。

  固く考えないで、自分なりの良さを「書」に出せれば良いように思います。

 参加をお待ちしています。

  

【インタビューと記事 文化協会役員 増田 等】

【街の文化人を訪ねて】第10回 音楽家 河本浩子さん

過去、ふうしゃにて取材をおこなった河本浩子さんに現在の様子を伺いました。

(取材日:令和3年12月9日(木))

〇略歴

1934年 岡山県出身

1952年 岡山大学にて音楽と英語を学ぶ
     大学進学に当たり、専攻を迷っていたが自己流で弾いていた
     ピアノが好きで教育学部の作曲科に入学した。

1956年 岡山県内で教諭となる

1959年 結婚

1965年 埼玉県春日部市の中学校において音楽と英語を担当
     大学卒業後に音楽の教師となり、夫の埼玉異動に伴い、
     一緒に旧庄和町の中学校赴任を経て、松伏町立松伏中学校の
     音楽教師となった。

    校長の推薦により、文部省の研修旅行としてヨーロッパへ派遣

1980年 松伏中学校の教諭

1986年 松伏第二中学校の校歌を作曲
     校歌制定で曲付けを担当。作曲家の山田耕作先生を思い出し、
     旋律線を大事にし、歌詞を何度も読み返し、言葉のリズムと
     アクセントを重点に作曲した。
     今でも生徒たちから歌いやすい校歌だと評価されている。

1988年 松伏町初の合唱団「フローラ松伏」を結成
     1988年開催のさいたま博覧会(熊谷市)において、
     県内94市町村歌の中で松伏の歌を披露することとなり、
     松伏町最初の合唱団フローラ松伏を19名で急遽結成。
     さいたま博覧会では、コンクール形式で町の歌ともう1曲披露した。
     急遽編成した素人的な合唱団であったが、ソコソコの成績を
     得ることが出来た。
     博覧会終了後も合唱団フローラは存続し、指揮と指導を続けた。

1989年 エローラ竣工の記念式典において、ピアノで「君が代」を演奏
     ベーゼンドルファーの最初の奏者となる。

     松伏第二中学校への赴任、博覧会への参加、田園ホール・エローラの
     竣工が重なり、松伏町で音楽との関わりが強くなった。
 

1992年 退職

   

〇現在の活動

・お琴愛好会

・松伏町のボランティア
  統合失調症の方達の社会復帰支援

・歌声サロン
  福祉施設での歌声サロン
  一般の方50人前後のサロン

・お茶サークル

・喫茶ボランティア

・松伏町文化協会役員

・松伏町民文化祭の総合司会等

第44回町民文化祭にて

 〇今後の活動について

 自分で歌いたい歌を心で歌う、これが楽しみです。また、ボランティアで統合失調症の方の支援、趣味のヘルシークッキングやお琴サークルを続けていきたいです。

 

〇インタビュー後記

いつも笑顔を絶やさず明るい河本先生。

これからもお身体を大切にコーラスやお琴演奏でご活躍ください。

【インタビューと記事 文化協会役員 伊藤多佳子記】