第49回松伏町民文化祭を開催します!!(11/3)

今年度のテーマは「広がれ 未来に 文化祭」です!

 町民文化祭では、アトラクションの部(ステージ発表)、展示の部、自由参加コーナー(来場者の皆様も参加できます)、その他に模擬店など様々な部門で皆様に楽しんでいただけるよう準備を進めています!
自由参加コーナーでは似顔絵コーナーや木目込み体験教室などを、模擬店では焼きそば、すいとん、コーヒーなどの販売を予定しております。
 また、アトラクションの部では、県内に2つしかない免許状を持つささら獅子舞の舞を披露します。最後には、まつぶし吹奏楽団の演奏による「みんなで歌おう♪」で「ふるさと」を歌います。みんなで歌おう参加者には、参加賞があります。(数には限りがあります)
 ぜひ、お友達やご家族の皆さんでお越しください!

↓↓ 時間や内容、場所などの詳細は以下をチェック ↓↓

日 時:令和6年11月3日(日)※雨天決行
    ・開 場 午前9時00分から
    ・開会式 午前9時30分から
    ・アトラクションの部、展示の部、自由参加コーナー、その他
     午前10時00分から午後4時00分まで(一部午後2時30分まで)
    ※模擬店はお店ごとに売り切れ次第終了

場 所:松伏町中央公民館 田園ホール・エロ―ラ
    (松伏町ゆめみ野東3丁目14番地6)

内 容:・アトラクションの部【ささら獅子舞、ダンス、カラオケ、お琴、民謡民舞、コーラス、吹奏楽】
    ・展示【華道、書道、美術、手工芸、小中学生児童生徒作品の展示】
    ・自由参加コーナー【囲碁、将棋、縁台囲碁将棋、木目込み体験教室、似顔絵コーナー、昔のあそび体験】
・模擬店【焼きそば、すいとん、コーヒー、パンなど】

主 催 松伏町文化協会 

後 援 松伏町、松伏町教育委員会

協 賛:エスビースパイス工業株式会社、共栄フード株式会社、株式会社横川鉱油、越谷地区保護司会松伏支部・松伏地区更生保護女性会、松伏心身障がい児・者親の会 スマイルクラブ

協 力:茨城急行自動車株式会社、株式会社ジャパンタローズ、自家焙煎珈琲 咲久羅、生活介護事業所 心、ゆめみ野工房

夏休み子ども将棋教室を開催しました。

夏休みの水・土に赤岩多世代交流館で松伏将棋連盟主催の子ども将棋教室を開催いたしました。

8/2(水)には松伏町出身のプロ棋士及川拓馬七段がやってきて子どもたちに将棋の指導をしてくださいました。

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子どもたちは大変よろこんでくれました。及川先生もこれから頑張ってください。また松伏に来てください。楽しみにしています。

【街の文化人を訪ねて】第12回 俳人・音楽家 戸辺喜美江さん

俳句・合唱・書道・菊作り・野菜作りなど、幅広い分野に造詣の深い戸辺喜美江先生に、今後の活動などお話を伺いました。

戸辺先生のご自宅にて

 

〇俳句への思い

松伏俳句会は昭和40年後半から町の有志で会を結成して、月一回の句会で勉強し合いました。

赤岩公民館の俳句講座を依頼されて俳句会(会報まつかぜ)を発行しました。後に松伏俳句会と合併し、現在に至っております。しかし、会員の高齢化などもあり、2020年3月/終刊記念号を以って休会となりました。

野田市の句会「雑草」同人としての活動は続けており、2022年3月に同人誌最新号が刊行されました。

2000年に戸辺喜美江句集「色~地球の詠唱~1(読み:しき~ほしのうた~1)」出版、2007年には第二集となる「色~地球の詠唱~2(読み:しき~ほしのうた~2)」を出版。今後、集大成として第三集を出版したいと思っています。

戸辺先生の句集等

 

〇合唱への思い

音楽の町・松伏を目指した1989年に「はつらつ合唱団」が結成され、以来月2回の合唱指導をしております。

2018年4月には、エローラホールにて30周年記念演奏会を開催。

楽しい企画盛り沢山、大盛況でした。毎年、埼玉筑波病院での歌の訪問も、皆さん心待ちにされているようでした。

 

〇書道への思い

自宅での書道教室は、子供から大人まで多くの人が通い、特に子供たちの書き初めには力を注いでおりました。自分自身は、今後共もう少し深く極めたいと思っています。

 

〇菊作り・畑作りに集う

菊作りでは、役場、エローラ、緑の丘公園などで展示を行い、優秀賞も何度か頂きました。

現在は会員も少なくなり新たな入会者もなく、昨年解散となりました。それでも春になると気の合った仲間たちとの畑作りは、今からとても楽しみです。

 

〇これから目指したい思い

 ・趣味の集大成を目指そうと思っています。

 ・今まで同様、いつまでも皆さんと仲良く楽しく生きて行きたい。

 ・誠実に生き、いつも広い目で物事を観て行こうと思います。

 ・自分も皆さんも“いいなあ”と思うことを沢山して行きたい。

 ・自宅二階に天文台を作って、心ゆくまで星座を見たいですね。

 ・皆さんとご一緒に、町の文化活動を盛り上げて行きたいです。

  

〇インタビュー後記

「さくらさくら八十路軽々超えていく」

八十路を軽々超える・・・と読まれたご自身の句のままに、ピースボートで世界を巡り、多くの人と出会い、分け隔てなく広い心を持って人との繋がりを大切にされて来られた戸辺先生。

これからも、さらに挑戦し続けることを楽しんでおられるお姿を見せて頂きました。

貴重なお話の中にもさりげなく歌を交えるなど、楽しいひとときをありがとうございました。

【インタビューと記事 文化協会役員 西野記】

戸辺先生のご自宅にて

【街の文化人を訪ねて】第11回 松伏町書道連盟前会長 石嶋利夫さん

 町役場会議室にて松伏町書道連盟前会長の石嶋利夫さんからお話を伺いました。  

       (取材日:令和4年1月17日(木)、聞き手:現会長 増田等)

写真1:町長応接室前の石嶋さんの作品前にて

〇書道を習い始めたきっかけは。

 25年ぐらい前に埼玉県立松伏高校の文化祭に出かけた時、校舎の中庭で書道部員の書道パフォーマンスを見て、書道をやってみたいと思ったのがきっかけです。

松伏高校の書道部の顧問の春日部在住の関根鳴城先生にお願いして、書道サークル「蛙鳴会(けいめいかい)」を始めました。外前野記念会館「ハーモニー」を会場にして、24年ほど続いています。始めたころは会員も17名いましたが、少しづつ減ってきています。

 現在は書作6段です。6段になるまで10年ほどかかりました。メンバーの中には6段、7段の方もおられます。

 関根鳴城先生はすばらしい先生で、毎日新聞社の書道作品の専属の審査員もされておられたと記憶しています。書だけではなく、印の彫り方も教えて頂き、自分で手彫りした印を今も作品に使っています。

 10年ぐらい前に転勤となりまして、後任が現在の南暉青先生です。

  

〇書道連盟の歴史についてお話しいただけますか。

 書道サークル「蛙鳴会(けいめいかい)」立ち上がりとほぼ時を同じくして、書道連盟ができました。

 始めたころは7団体ありました。初代会長が斉藤道子先生で、続いて池上よしゑ先生、斎藤とし子先生、長柄志げる先生、中條勝子先生と続き私が6代目で昨年まで務めさせて頂きました。

 現在は、中條先生の「中條書道教室」と「蛙鳴会(けいめいかい)」の2団体となっています。新しく参加される団体が加わっていただくことを願っています。

 町民文化祭では、メンバーの中で男性が一人だけでした。会場づくり、後片付けなどをいつも中心に行っていました。頼られる存在だったかと思います。

写真2:2019年11月 町民文化祭書道連盟ブースにて

  

〇思い出深い作品ありますか。

 日常生活の中で、目的をもって何か役立たせたいと思い立ち、「千字」を個人的に習得して、全文字作品にして末代まで残したいと考えています。その一部となる最近の作品を持ってきました(写真3)。腰を痛める前の直近の作品です。何とか完成したいと思っています。

 また、10年ぐらい前に「般若心経」の経文の写経を完成させました。昨年、新築した家に、額に入れて飾ってあります(写真4)。

写真3:作成中の「千字」の一部
写真4:新居に飾った「般若心経」

〇今後の抱負をお聞かせください。

 ワープロの時代にあって、自筆の筆での作品作りには価値があると思います。年賀状も筆で書いたものをお送りしたいと考えています。

  

〇これから、書を始められたい方へのメッセージをお願いします。

  固く考えないで、自分なりの良さを「書」に出せれば良いように思います。

 参加をお待ちしています。

  

【インタビューと記事 文化協会役員 増田 等】

【街の文化人を訪ねて】第10回 音楽家 河本浩子さん

過去、ふうしゃにて取材をおこなった河本浩子さんに現在の様子を伺いました。

(取材日:令和3年12月9日(木))

〇略歴

1934年 岡山県出身

1952年 岡山大学にて音楽と英語を学ぶ
     大学進学に当たり、専攻を迷っていたが自己流で弾いていた
     ピアノが好きで教育学部の作曲科に入学した。

1956年 岡山県内で教諭となる

1959年 結婚

1965年 埼玉県春日部市の中学校において音楽と英語を担当
     大学卒業後に音楽の教師となり、夫の埼玉異動に伴い、
     一緒に旧庄和町の中学校赴任を経て、松伏町立松伏中学校の
     音楽教師となった。

    校長の推薦により、文部省の研修旅行としてヨーロッパへ派遣

1980年 松伏中学校の教諭

1986年 松伏第二中学校の校歌を作曲
     校歌制定で曲付けを担当。作曲家の山田耕作先生を思い出し、
     旋律線を大事にし、歌詞を何度も読み返し、言葉のリズムと
     アクセントを重点に作曲した。
     今でも生徒たちから歌いやすい校歌だと評価されている。

1988年 松伏町初の合唱団「フローラ松伏」を結成
     1988年開催のさいたま博覧会(熊谷市)において、
     県内94市町村歌の中で松伏の歌を披露することとなり、
     松伏町最初の合唱団フローラ松伏を19名で急遽結成。
     さいたま博覧会では、コンクール形式で町の歌ともう1曲披露した。
     急遽編成した素人的な合唱団であったが、ソコソコの成績を
     得ることが出来た。
     博覧会終了後も合唱団フローラは存続し、指揮と指導を続けた。

1989年 エローラ竣工の記念式典において、ピアノで「君が代」を演奏
     ベーゼンドルファーの最初の奏者となる。

     松伏第二中学校への赴任、博覧会への参加、田園ホール・エローラの
     竣工が重なり、松伏町で音楽との関わりが強くなった。
 

1992年 退職

   

〇現在の活動

・お琴愛好会

・松伏町のボランティア
  統合失調症の方達の社会復帰支援

・歌声サロン
  福祉施設での歌声サロン
  一般の方50人前後のサロン

・お茶サークル

・喫茶ボランティア

・松伏町文化協会役員

・松伏町民文化祭の総合司会等

第44回町民文化祭にて

 〇今後の活動について

 自分で歌いたい歌を心で歌う、これが楽しみです。また、ボランティアで統合失調症の方の支援、趣味のヘルシークッキングやお琴サークルを続けていきたいです。

 

〇インタビュー後記

いつも笑顔を絶やさず明るい河本先生。

これからもお身体を大切にコーラスやお琴演奏でご活躍ください。

【インタビューと記事 文化協会役員 伊藤多佳子記】

【町の文化人を訪ねて】第9回 日本料理・割烹 石塚家

 

過去「ふうしゃ」にて取材をおこなった石塚家さんへ現在の様子を伺いに取材させていただきました。(取材日 令和3年10月19日)

【石塚家について】

日本料理・割烹「石塚家」創業は明治30年頃。現在は創業から120~130年程。
和風レストラン「以志津香」を併営している。

  

〇新型コロナウイルスの影響について

大打撃でしたが、お客さんのことを考え石塚家はお店を閉めずにお店を続けていました。

また、コロナでお客さんに応援されてることをつくづく感じました。

役場が飲食店の応援クーポンを作ってくれたり、石塚家がつぶれないように宴会で食べに行こう等、応援していただき、今までもお客さんは大事だと思っていたがコロナ禍になり、それが身に染みて感じました。

 

〇これから先の展望について 

【ご主人】

懐石料理を大事にしていきたいです。懐石は日本料理の根幹であり、料理人が工夫して一生懸命表現する基本的なものです。

自分の創意工夫を入れられるから自分は懐石が作っていて楽しいと感じます。

うなぎを大事にしながらも懐石料理を大事にしていきたいです。

 

【女将さん】

宴会場として、手作りの美味しい料理をいつでも提供できる料理屋として、ずっと続けていきたいと考えています。

石塚家がなくなると困ってしまうというお声もいただき、ありがたくうれしい限りです。

皆が集まって会合して、楽しく食べていただける、そういう場所でありたいと思っています。そのためにも、このままの体制をずっと残していけたらと願っています。

 

貴重な時間をいただきました事にお礼を申し上げ、石塚家さんのご健勝と今後のご活躍を祈念します。

 

<インタビューと記事 文化協会役員 青木記>

 

 

〇過去の「ふうしゃ」掲載記事

平成8年11月10日発行 ふうしゃ第1号 文化の発振地より

この度、松伏町文化協会では町民へのPRの一環と致しまして、本年から広報誌を作ることになりました。

その中のコーナーに、「松伏町の文化の発振地」という特集を組んで、町内のお店の紹介をさせて頂きます。第1回目は川魚料理の石塚家さんです。

【創業はいつですか】

明治三十年くらいです。

初代の人は酒屋をしておりましたが、前を流れる古利根川は、なまずや鯉、うなぎが沢山捕れまして、それを天ぷらに揚げたり、あらいを作って出しましたら、けっこう売れまして、酒と一緒に売ったのが始まりです。

それから座敷が欲しいと言う事になり八畳三間の宴会場を作りました。今は私の長男で四代目になりますが、息子と相談しながら店を新築し現在にいたっております。

【利用客はどの様な人ですか】

ゴルフが盛んになってから、野田のゴルフ場に来たお客が良く来てくれました。

その中にけっこう有名な方も見えてくれましたね。キッコーマンの方も大勢きてくれました。地元の方は昔から結婚式に盛んに利用して頂いております。

今の様に友人や知人が多数出席する結婚式でなく、親戚や身内が参加するだけでしたので八畳三間でみんな入りましたよ。

現在では結婚式もそうですが、七五三のお祝いや、ご法事にも利用いただいております。又、レストランをご利用してくださるお客さんも多く、ありがたく思っています。

【街の文化人を訪ねて】第8回 松伏神社ささら獅子舞保存会 会田 重雄さん

ささら獅子舞保存会で元町長の会田重雄様にお話を伺いました。

(取材日:令和3年9月22日)

<令和3年9月15日 松伏第二小学校 町の伝統芸能見学会にて>

  

<ささら獅子舞保存会の位置づけについて>

獅子頭(シシガシラ)そのものは松伏神社の持物です。ささら獅子舞保存会は舞うという技能を持っている団体です。

 

Q1:どれくらいの歴史がありますか。

厳密にいうと我々にもわからないところがありますが、ささら獅子舞には免許状というものがあります。

その免許状の出された年は1646年(正保3年)です。それは神社の石碑にも刻まれております。従って370年以上の歴史があります。

ささら獅子舞の免許状は、流派の家元が出したものと思われます。

  

Q2:今は何人ぐらいでやってますか。

女性6人、男性7人の13人です。

  

Q3:どんな活動をされていますか。

毎年7/15前後の松伏神社の例大祭で奉納するのが中心です。

また、大勢の人に知ってもらいたいので、松伏神社の元旦祭や、町民文化祭、町民まつり等でも舞います。

そして、獅子舞をやってみようかなと思う人が出てきてくれることを願っております。

この前も松伏第二小学校で子供たちに町の伝統芸能を見せたいということでしたので特別に舞いました。

そういう声がかかれば積極的に伺います。

 

<第44回松伏町民文化祭にて>

Q4:普段の練習はありますか。

毎年7月15日前後の日曜日が例大祭になりますので、それに向けて5月連休明けから毎週練習します。

今年は、コロナでお正月の行事が中止になりましたが、来年の正月に向けては、11月ごろから練習を始めます。

現在は10/7に春日部で行われる「埼葛人権を考えるつどい」で披露することになっており、それに向けて練習しています。

    

Q5:練習はどこでやりますか。

神社の社務所で行っております。

すべて神社中心の活動です。

     

Q6:他の市町にも獅子舞があるようですが、交流はありますか。

どこの神社もお祭りは同じ時期なんです。ですからなかなか行かれませんが、赤沼の神社や銚子口の神社(どちらも春日部市)には見学にいったことがあります。

    

Q7:(越谷)下間久里に無形文化祭の獅子舞があるようですが交流はありますか。

あります。この前も皆で伺って練習を見せていただきました。

言い伝えでは松伏神社の獅子舞は間久里から教わったともいわれています。しかし、舞いの形は松伏神社のものとは違うものでした。

   

Q8:ささら獅子舞は県の指定文化財にはならないですか。

県内で獅子舞は100以上あり、「ささら」という名前が付く獅子舞だけでも30以上あります。どこか特徴がないと難しいようです。

20年ぐらい前、文化財をまとめる仕事をやってくれていた大舘さんが、この免許状はすごいということでした。

免許状だけでも県の文化財になればと思います。

     

Q9:獅子は作り変えていますか。

獅子頭は昔からのままです。

塗り直しは1回経験しています(20年ごろ前)。その前何回行ったのか分かりません。

また、太鼓も直しました。皮の張り替えです。周りの布とかは紐でくくってありますが、はがした布の中には昔直したことが書かれていました。

   

<獅子舞の難しいところ>

獅子舞で難しいことは、他の獅子舞は何回も同じ振りを繰り返しているようですが、松伏神社の獅子舞は1曲1曲振りが違うことです。だから免許状が必要なのかもしれません。

    

Q10:会田さんがささら獅子舞を始められたきっかけは。

松伏神社の夏祭りで小さい時から獅子舞を見ておりましたので大人になったらやってみたいと思っておりました。

昔の神社は野田街道沿いにありましたので、多くの人に見られていました。

 

【インタビューと記事 文化協会役員 吉田文夫】

    

<ふうしゃ過去記事紹介> 

ふうしゃ第10号 平成13年7月1日発行 サークル紹介より

ささら獅子舞は、1646年5月に免許状を有する無形文化財である。古来は、外河原地内に鎮座した八幡神社に伝承されていたものと推測される。

例年7月15日の夏祭に斎庭を設けて神社で奉納される。莚八枚を方形に敷き、四方に竹を立て注連縄を張って待つ中に、祓を持った氏子総代を先頭に宮司が巻物を持ち、少年4人の花笠、笛方3人、女獅子、中獅子、太夫獅子の順に鳥居を潜る。

道中流しの笛の音に合わせ粛々と進み斎庭に入れば花笠は四方に立ち四方固めの舞が五穀豊穣悪疫退散を願って奉納される。その舞振りは勇壮である。

舞の風に当たるその年は病気にかからぬという。

最後に上りの曲が奏されて、ささら獅子舞奉納の儀は終了する。

皆様の参加をお待ちしています。

第46回松伏町民文化祭開催中止のお知らせ

令和3年11月3日(水・祝)に開催を予定しておりました「第46回松伏町民文化祭」について、新型コロナウイルス感染拡大防止の観点から参加者及び来場者の健康と安全を最優先に考慮し、中止と決定しましたのでお知らせいたします。

これまでの御協力に感謝申し上げるとともに今後とも御支援・ご協力を賜りますよう重ねてお願い申し上げます。

【問合せ・事務局】
松伏町教育委員会 教育文化振興課
担当:八子・柴田
TEL:048-991-1873
FAX:048-991-1902

【街の文化人を訪ねて】第7回 松伏町ダンス連盟会長 舞踊家 伊藤 多佳子さん

〇略歴

・東京都大田区出身

・11歳より、体質改善の為バレエを始める。

・幼稚園教諭を目指していたが、付属高校3年生の折ミヤキバレエ団「ジゼル」全幕公演に出演し、バレエの世界に入る。

・1992年 ARAD取得(英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンシング)

・1994年 松伏町民となる。

・2000年10月 バレエサークルをエローラにて始める。

・2002年 松伏町文化協会に入会。
       サークル名が「伊藤多佳子クラシック・バレエ・クラス」となる。

・2006年 松伏大人のバレエサークル講師。

・2009年 ダンス連盟 会長就任。

・2011年 日本バレエ協会関東支部 埼玉ブロック公演「バレエファンタジー」
       オープニング作品振付「ハーモニー」

・2013年 越谷イオンレイクタウンmoriカルチャースクール内講師。

・2018年 保育士の資格を取得。

・2021年4月より 保育士として勤務。

〇活動
 ・(公社)日本バレエ協会関東支部埼玉ブロック 運営委員
 ・松伏町文化協会理事
 ・松伏町ダンス連盟会長  
   50名の生徒を抱えて松伏町内・越谷レイクタウンにて指導を行っている。

〇伊藤多佳子クラシック・バレエ・クラスについて

○「伊藤多佳子クラシック・バレエ・クラスの考え」
 クラシックバレエの基礎から一人一人丁寧に指導しております。
  
 レッスンやリハーサルを重ねていく中で、観る人の心を震わせる、美しい踊りや身体の使い方を教えております。

 また、日々の生活の中で大切な、「挨拶」や「礼儀」「立ち振舞い」「家族への感謝」等も、子供達がこの先バレエを離れ、どの道に進んだとしても恥ずかしくない人間になるよう、全身全霊をかけて指導しております。

 ○「活動状況」
  ・2年毎に発表会を開催
   2006年 3月 「くるみ割り人形」
   2008年 12月「眠れる森の美女」
   2010年 4月 「コッペリア」
   2012年 5月 「くるみ割り人形」
   2014年 5月 「四季」
   2016年 5月 「眠れる森の美女」
   2018年 2月 「パ・キータ」
   2021年 5月 「マーチ」

  ・「松伏町民文化祭」へ毎年出演

  ・日本バレエ協会関東支部埼玉ブロック公演「バレエファンタジー」に出演

 ○「レッスン日」(クラス分けあり)
  毎週 火曜18時~21時
     木曜18時~21時
     金曜19時~21時
     土曜10時~13時
   
  場所 松伏町中央公民館 田園ホール・エローラ
     外前野会館ハーモニー
     多世代交流学習館メロディー

 ○「連絡先」
  048-992-0847 又は 090-5586-1669(伊藤)

〇今後の展望
現在指導している子ども達をバレエ協会の公演に出演させたい。

バレエの指導を通して、バレエの上達のみではなく、自分らしさを失わず、礼儀正しい、心身ともに素敵な女性を育ててゆきたいと思っている。

また、違ったジャンルの踊りに挑戦し、踊りの幅を広げてゆきたい。

 

〇インタビュー後記
ぶしつけな質問にも、細々と明るくお答え頂き、楽しい時間を過ごすことが出来、貴重なお時間を本当にありがとうございました。

【インタビューと記事 文化協会役員 河本浩子】 

〇過去の「ふうしゃ」記事紹介

平成19年3月1日発行 ふうしゃ第17号 リレー訪問 うちのお師匠さんより

私達がレッスンしているバレエ・クラスは、21年前(現在より)からスタートし、3歳から大人まで50名近い仲間がいます。

指導してくださるのは、伊藤多佳子先生です。(社)日本バレエ協会会員で、ミヤキ・バレエ団出身です。色々なバレエ団の公演、大学の公開講座なども経験しています。

先生は「クラス毎に素敵な衣装をつけ、大勢のお客様の前で踊りきった皆の顔は、キラキラと輝いていて、そんな姿を見ると毎回胸が熱くなって感動します」と言ってくれます。私たちも先生のうれしそうな顔がとても大好きです。

先生のコメント=クラシックバレエは総合芸術です。厳しいレッスンの中にも、踊ることの楽しさや嬉しさが分かり、将来バレエだけでなく、自分の夢に向かって羽ばたいていく子供たちが一人でも多く育つよう願って止みません。

【街の文化人を訪ねて】第6回 若潮会 染谷栄さん

染谷先生の絵に対する情熱が、パリ留学挑戦に・・・

若き挑戦者の血気盛んな頃の話を聞かせて頂ければと思います。

(取材日:令和3年6月22日)

 

〇法廷画家 染谷 栄先生 略歴

パリ国立美術大学

先生 大学卒業後、松伏町の中学校の美術の先生(美術専任)として5年間勤務しま した。先輩の横川先生と一人の先生と3人で教えていました。        

◆聞き手 学校辞めてのフランス留学は誰から勧められたのですか?自分の意志で決めたのですか?

◇先生 中学校で美術を教えるための指導要領があります。内容が非常に高度なもので、印象派など出てきたが全く分からなかった。そういうのが分からない状況で教えていてよいのか疑問に思ったのです。例えば、印象派の前からバロックとかロココだとか言っても分からない。始めは休職という形で半年位行きたいと校長先生お願いしました。学校に籍を置き、研修として行ってこい。半年で戻ってこいと…

しかし、いろいろ考え、上手く勉強できるか不安になり学校を辞める事にしました。     

 

〈フランスの様子〉

◇先生 フランスは結構雨が降るんです。フランスの人は傘を持たない。そんな印象の国です。  

学校に入る為入学願書を提出した。留学渡航者として一緒に行った人達は、美術学校に行く為の準備をされていた。現地での生活もどういうものか調べて知っていた… 私は道中色々な事を聞くことが出来ました。       

入学にはデッサン2枚、油絵2枚の受験があった。9月から開講だが、私は4月に行ったので十分時間がありました。その間ヨーロッパの国々を観ようとしました。

周遊チケットで楽に周れたのです。 5月に丁度イタリアにいた時に、政治的な問題でフランス全土でゼネストがあり、すべての活動が停止しました。 電車も飛行機も動かない。 当然のこと3か月位帰れなくなった。

◆聞き手 それは大変なことに

◇先生 腹を決めてヨーロッパを一周することにしました。

幸いイタリアだったからスパゲッティが安かった。それとオランダはレンブラントやゴッホが生まれたところなので行きたいと思い、オランダ行きの電車に乗ったら寝てしまいデンマークまで行ってしまった。スウェーデンでは黒髪が珍しいようで、よく「髪を欲しい」と言われ、切って渡しました。そして一回りして最後オランダに行って帰った。

◆聞き手 今で言うバックパッカーのような旅ですね。若い人の特権ですね。

◇先生 ユースホテルに泊まっていました。ただユースホテルはよく泥棒に入られるので全部ものを持って移動しなければならなかった。 でもお陰で、いい風景をみられました。

◆聞き手 お話伺っていると楽しそうですが…、不安や、言葉の不自由さはあったのではありませんか?イギリスは英語が通じるがヨーロッパの他国は違いますよね。

◇先生 言葉は全然わからなかったけど、結構大丈夫でした。                              

イタリアに行った時駅についてレストランに入ったがメニューが全然わからなかった。 イカの輪切りが美味しいとの話を聞いていたので、スケッチブックにイカの絵を描いてお店の人に見せたら、大きな皿に美味しいイカの料理が出てきた。   そして、お金はいらないと言われた。 

絵を勉強している者にはタダでいいと言われた。イカの絵で十分と言われた。

しっかり描けばよかったと思いました。 国が違うとずいぶん違うなと感じました。 本当にイタリアが好きになった。

◆聞き手 芸術に対する理解者が多いのでしょうね。イタリアとかフランスとか芸術文化が発展したのがよくわかりますね フランスで3年いたのですか?              

◇先生 学校は2年間でした。学校で教わる先生を決めなければならない。

そこで、私はマチスの弟子だった人が教授をやっていたので、その人につこうと 思って入学の手続きを取りました。でも、ゼネストにより学校が大きく変わってしまった。学生たちが騒いで改革を要求することでどんどん良くなっていく、そういう時代だった。学生が主導権を握る時代。 

日本でも学生運動時代がありました。美術大学も国立だったので教授達も制限をされて人が変わり、結局入りたい教室へ入れず、別の人になってしまいました。

美術学校での生活は、朝早くから授業があり、お昼休みが2時間ぐらいあったのでその時間に語学教室へ行っていた。語学学校は食事が安いのでそこで食べていた。

言葉も勉強できるし、食事も安かった。そういう暮らしをしていた。

そこでいろんな人と知り合いができた。当然皆外国人でした。ベトナムとか、韓国とか中国人もいた。植民地の関係でアフリカの人はすでにフランス語がしゃべれる。

そういう人はすぐに仕事に就ける。道路掃除とか。黒人に対する恐怖心はなくなりましたね。

 

聞き手 青春時代にそういう場にいたことはいい経験ですよね。          

◇先生 こっちが望んだことではないですが、望んでもできないような経験ができまた。フランスはワインなど飲み物が豊富ですが、高価な所は一度も入ったことはない。バゲットを朝買いに行ってぼりぼり帰りに食べた。休みの日は郊外に出かけた。ナポレオンとジョセフィーヌが暮らしたお城があった。そのお城も描きました。

車を買って郊外に乗って出かけていた。

日本で免許所持してなかったので、フランスで免許を取った。

免許は先生が自宅まで来てくれました。日本は教習所に行くが、フランスは個人教授だった。取得し現地の高速道路も走りました。日本ではまだまだ高速道路がそんなに無かった時代です。勉強の為の留学ですがそれ以外に沢山興味深い事が沢山有り本当にいい経験になりました。

 

染谷栄先生にはお忙しい中、長時間に渡り取材に応じて頂き本当に有難うございました。夢と希望を胸にひとり異国の地に渡り、絵の勉強に挑戦されました。

グローバル化の現在と違い、当時の状況を考えると簡単な事では無かったと思います。若さと絵を描くことへの情熱が行動の原動力なったと思いました。 異国の地での活動の思い出の一端を、楽しかった事としてゆっくりとした口調で語って頂きましたが、過去の永い時間がすべてを熟成させ素晴らしい思い出になったのだと思いました。

【インタビューと記事 文化協会役員 藤岡記】

 

 

◇パリ国立美術大学〈ボザール〉とはこんな所です。

パリ国立美術大学〈ボザール〉は1648年、ルイ14世の要請でが美術学校を設立した。

1819年に、名称を国立美術学校(エコール・ナシオナル・シュペリウール・デ・ボザール)に改称。

カリキュラムは画家と彫刻家育成の「絵と彫刻アカデミー」

今日その名を残す有名な芸術家の多くがここで訓練され、エドガー・ドガ、ウジェーヌ・ドラクロワ、クロード・モネ、ギュスターヴ・モロー、ピエール=オーギュスト・ルノワール、ジョルジュ・スーラ、アルフレッド・シスレーなどの名が挙げられる。

◇パリ ル・サロン展の会場